姑の家には50年間ずっと引きこもりで家にいる息子(私にとっては義弟)が二人います。何年もお風呂に入らず下着は茶色で髪はベトベト、相当臭い中での異様な風景が目の前にありました。家からは一歩も出ず、持病のてんかんの治療もしていない義弟の事をほってはおけず私は新婚当初から世話を始めました。
時間の制限もなく、好きな時に起き、好きな時に食べ、好きな時に寝る生活。
ある日、私が夕食を作った時、もちろん「ありがとう」など言うはずもなく、黙って食べ始めました。
最初は見守っていたのですが、テレビを見ながら食べたり横になったりしながら、何と3時間も!!
私はついにブチギレ、「アンタね、せっかく私やお母さんが作ったご飯を、そんな態度して、感謝の気持ちはないの?何考えてるの?礼儀とか作法とか知らないの!」と言ってしまったのです。
しかし彼は一言「オレが頼んだのか」と言い捨てたあと何の反応もしませんでした。
義母が亡くなったらすべて私が面倒を見なければならない。これではいけないと、イヤダと言う彼の服をムリやり脱がせお風呂に入れましたが抵抗されながら私一人で入れました。
このままではいけない!と思った私は彼をムリやり心療内科に通わせることにしました。いつも嫌がって抵抗しましたが、むりやり引っ張って連れて行きました。後には素直に通うようになってくれました。しかし大変だったのはてんかんでした。発作が起こる度、病院へと駆け付けるのです。
年老いた姑が義弟の世話をしていたのですが、姑を我が家で引き取った後、義弟はもう一人の弟と二人暮らし。男暮らしでできない部分は、私が時々様子を見に行く事がありました。
姑を見送り、やっと落ち着いた頃、義弟の実家のドアを開けると、「クッサ〜!!!何この臭い!!!」実母の葬儀にも来なかった義弟はどうしているのだろうと、ずっと頭の隅にあったのですが、訪ねてみると案の定でした。
私は思わず叫びました。
長男の嫁である私はいずれ義弟の面倒を見ることになることは理解していましたが、姑の死後やはりそれが待っていました。
姑を介護し見送った矢先から義弟を世話する事になり、誰も頼る人がいないため放り出す訳にもいきません。何とか自立してほしい。
しかし私の気持ちは伝わらず、本人は世話を望んいません、来なくていいと常に嫌がりました。
自由に生きて行きたいのでしょう。
徐々に私の気持ちも足も離れていきました。
心の中では、いつもどうしているだろう、大人だし何とかやっているだろうと思いながら1年程が経ちました。
気に掛かりながら、そろそろ様子を見に行こうかと思っていた矢先の事でした。
「突然死した」と言う隣の親類からの連絡でした。
一瞬私の頭の中は真っ白になりました。
何か助けてあげられたのではと自分を責めました。私が見放したからだと。
どんなに後悔しても義弟は帰ってきません。
今でも私の心に残っています。