私が高校生の頃の話です。お婆ちゃんが背中を骨折して長期入院になりました。
そのころ妹8歳、弟は2歳という6人家族、母は子育てとパートで祖母の世話が充分にできる環境ではありませんでしたので、母に変わり私がお婆ちゃんの世話のため病院に通う事になりました。
学校から帰宅するとお風呂や夕食を済ませ、次の日の勉強道具を自転車に乗せ病院へ。
病室で泊まり、夜中はお婆ちゃんの世話をし、朝病院から10kmの道のりの学校へ通うのです。
病院までの10kmの道のりを自転車で走ります。すっかり暗くなった街灯もない道を一生懸命無我夢中で走ります。怖くて目を開けられません、ただただひたすら走っていました。
その当時の病院は完全看護でなく、ベッドの横に簡易ベッドが置かれ、食事や身の回りの世話、夜通し家族が世話をする時代でした。
私はその簡易ベッドで寝る事が、ちょっと特別感があってとても好きでした。
お婆ちゃんはと言うと、辛抱強い人で少々の辛いこと痛いこと、苦しいことにはギブアップを言わない人でした。
ですが、身動き取れないためにオムツを当てがわれていて、排尿排便はオムツでしなければなりませんでした。嫌だったと思いますが、ここでイヤダ、と言っても通用しないことを知っていたのでグッと堪えてそれはとても辛かったと思います。
ギブスを装着していたために背中が痒いと言われたときは長い物差しで背中をかいてあげるととても気持ちよさそうにしていたことを思い出します。
顔洗ったり歯磨きも横たわったままなので一人ではできず、洗面器や曲がるストロー、吸い飲みなど要領よくできるやり方を考えて世話しました。